熟年離婚や定年離婚を回避して老後を穏やかに暮らしたいとお考えの方に

老後の二人暮らし

定年離婚が増加中

厚生労働省の調査では、熟年離婚率が過去最多になったといいます。 統計データによると、2020年に離婚した50歳以上の夫婦は94,753件でした。1995年から2000年にかけて約45,000件から約94,000件と、およそ2倍以上に急増しているそうです。

熟年離婚とは、一般的に20年以上の結婚生活を経て離婚することを指しますが、こうした熟年離婚の中には、夫の定年を機に長年連れ添った夫婦が別の道を歩き出す定年離婚というものがあります。

定年離婚の場合は、専業主婦の妻から夫に別れを切り出すケースが多いそうです。専業主婦の妻はなぜ、夫の定年というタイミングでの離婚を選択するのでしょうか?

妻が定年離婚を決意する理由

友人同士の会話でも、「もうすぐ夫が定年退職なの。退職後の毎日が怖いわ〜」なんて話をよく耳にします。

高度経済成長を支えながらバリバリ社会で働いてきたのに、突然毎日が日曜日になってしまった男性。趣味があって生き生きと暮らせる場合はいいのですが、価値観が全く異なり、会話もなく、日がな一日テレビや新聞を眺めている夫。妻の外出にいちいち干渉したり、昼食や夕食がないと怒ったりする、妻にベッタリの夫も多いようです。そしてお互いに不機嫌になりケンカの毎日。

これまでは子どものためと、ひたすら我慢してきた妻が、子どもが就職したり結婚して、これからは自分の人生を生きたいと離婚を決意するケースが増えました。

男性が考えるより、女性はずっと忍耐強く、その分恨みを蓄積する傾向があります。結婚して40年近い日々の中で、「いったい誰の金で生活していると思ってるんだ!!」など、夫の暴言に主婦は深く傷ついていたりします。

子育てのことを相談しようとしても全く聞く耳を持たず、家のことは全て妻に任せっきりで、問題が起これば「お前の育て方が悪い」と怒るケース。仕事を言い訳に家事に参加してこなかった高度成長期のモーレツサラリーマンの方にはこのパターンが多いようです。

モラハラ夫に仕え続けた妻のケース

B夫妻は典型的な亭主関白、従順な妻のパターンでした。若くして資産家のB家に嫁ぎ、厳しい舅に徹底的に仕えながら二人の娘を育てあげました。娘たちはそれぞれ結婚し家を出ていき、義両親の介護も終えて嫁としての勤めを終えました。

夕食のおかずが夫にだけは一品多いのがしきたりの家庭。亭主関白を超えた横暴さに娘たちも寄りつかない夫。今の時代で言えばパワハラ、モラハラな夫の行動の数々に傷つき続けた妻ですが、娘たちのためと、ひたすら忍耐し続けていました。

その夫が定年を迎えて家にずっと家にいるようになったのですからたまりません。たまに二人で旅に出て美しい風景を見たり美味しいものを食べても、感動を共有するということが全くなかったそうです。

そんなある日、夫は妻が大事にしていた趣味の道具を一切、断りもなく捨ててしまったのです。そのとき妻の心の糸がプツンと切れてしまい、気がつくと泣きながら夫の頬を平手で叩き、夫が逆襲して殴り合いの修羅場になったそうです。

あの貞淑な妻がそのような行動を取ったことに夫はひどく慌てたようで、出て行こうとする妻を必死に引き止めたようですが時すでに遅し。それから長く揉めていましたがようやく離婚を勝ち取りました。妻は家を出て娘夫婦や孫たちと同居し、夫は一人暮らしをしています。

そういう夫のケースは、昭和世代には当たり前だったようです。パワハラやモラハラなんていう呼び方をされるようになったのはほんの最近のことで、これまでどれほど多くの女性が忍耐してきたことでしょうか。

夫が定年離婚を決意する理由

夫が定年離婚を決意するケースで多いのは、家に居場所がないということではないでしょうか。定年退職をして一日中家にいると、邪魔者扱いされ、頑張って家事を手伝うと妻には妻のこだわりがあって断られてしまう。子どもたちからも煙たがられ、自分の存在価値を見失い。妻の親と同居の場合、ますます居場所がなくなってしまいます。

知人のA家の場合もそうでした。一人娘だった妻の実家の敷地に家を建て、夫は子どもたちの学費やローンの返済のために5年間単身赴任で働き続けました。

学校の校長先生だった妻の父が孫たちの勉強を見てくれて、妻はパートで働きながら、母の作ってくれる食事を毎日実家で食べる快適な日々でした。家族は5年間一度も単身赴任先には訪れることがありませんでした。

夫がたまに家に戻ってみると、妻の両親が当たりまえのように家に出入りしていて肩身が狭く、一体誰の家なのか分からなくなってきました。

自分の居場所を見失い、夫は部下と浮気をしてしまい、相当な修羅場を潜って離婚に至りました。「オレは鵜飼の鵜か」と思ったと語っていました。

私の両親のケース

私の両親の場合、父は60歳で定年退職し、残りの人生は趣味に生きると言ってダンスにフルート、船の旅など、あれこれ忙しくしていたようですが、歳とともに体調が衰え、次第に怒りっぽくなり、家にこもるようになりました。

母が体調の悪い父のために一生懸命作ったスープを、「こんな不味いもの食えるか!」と投げ捨てたこともありました。また、ご近所トラブルも絶えず、母はいつも近所に頭を下げながら暮らすのがしみじみ嫌になったのでしょう。

昭和一桁生まれの父に半世紀近く仕え続けてきた母ですが、ある朝突然私に電話がかかってきて、「あなたの家の近くにマンションを探してちょうだい!もう我慢できない!」と、65歳にして別居したいと言い出したのです。まさに晴天のへきれきでした。

それからひと月後、母はくも膜下出血で倒れました。父は人が変わったように献身的に母を看病しましたが、母はあっけなく亡くなったので、父とは永遠の別居となってしまいました。

母が亡くなってからというもの、父は母の写真を家中に飾り、母の思い出話ばかりしていましたが、「母が元気なうちに少しでも優しくしていればこんなことにはならなかったのに」と娘は思うのでした。

そして私は、決して親と同じ道は歩みたくないと心から思いました。そんな両親を見ていたので、夫が定年を迎えたら残された二人の人生を少しでも長く楽しく、穏やかに過ごしたいと思っていました。

我が家の場合

我が家も度々離婚の危機を通りましたが、一番厳しかったのはコロナ自粛の時期でした。

我が家の場合、元々夫は単身赴任が長くて料理が上手だったのですが、その時の習慣や几帳面な性格も相まって、私の台所の領空侵犯をするようになり、度々ぶつかるようになりました。

鍋の置き場から食材管理、買い物の仕方など、いちいちうるさくて仕方ありません。つまらないことで度々けんかになりました。そこにコロナ自粛が重なったものですから、外を出歩くこともできなくなり、三食食事の支度をして一緒に食べることもお互いに相当ストレスを感じていました。

思わぬ解決法を見つけた夫

ところで、主婦が台所に立って、冷蔵庫にあるもので手早く何か作ろうと思っても、やれ油がない、ケチャップが切れてるなんてことが多々あります。 調味料や食材がちゃんと揃っていてこそ、毎食時間通りに食事を出すことができる最大のポイントです。

きっちり献立を考えて在庫を確認してから、必要なものをメモして買い物に行く場合は問題ないでしょう。しかしノープランでスーパーに行って、たとえば「今日は豚の生姜焼きにしよう」と思いついたとしましょう。まず豚肉、キャベツ、それから生姜…あれ、生姜あったかな、ないと困るから買っておこう。この場合、かなりの確率で生姜は冷蔵庫の片隅に半ば干からびて転がっています。そして料理酒、醤油、みりん等々、把握しないで出掛けてしまうとダブって買って、狭い調味料棚を占拠する羽目になります。

いつからか夫は買い出しを担当をしてくれるようになりました。仕事柄もあってか、それが非常に丁寧で、何かが無くなれば必ずメモをしておいて買いに行き、常に在庫は1つある状態にしてくれるようになりました。

おかげで私としては食事の支度がとても楽になり、3食の準備がそれほど苦にならなくなりました。しかも夫は自分が食べたい食材を買ってきてくれるので、毎食の献立を考えるという一番面倒な手間が省けるようになりました。

思いを伝える努力をする

ただし、買ってくれたものがやや的外れだったり、自分好みではない場合もあります。たとえば「醤油はこっちのメーカーのがいい」とか「ベーコンはなるべく添加物少なめでお願い」等々。

最初はうまく伝わらないことが多いのですが、そこであきらめずに刷り合わせていくと、いつしか自分好みのものが常に常備されているという、とても快適な台所ができました。おまけに夫は定期的に冷蔵庫の掃除もしてくれるようになったのでとても助かります。

夫の一番素敵なところは、恩着せがましくないことです。たとえば朝起きたらすでに洗濯物が干してあった場合、「あら、ありがとうね」と言うと、「さっき小人さんが七人くらいでやってきて干してたよ」と言うのです。うちにはいつでも七人の小人が住んでいるようです。

少しでも恩着せがましい匂いがすると絶対嫌になると思うのですが、なるべく私がいない時、見ていないときにサラッと家事をしてくれるので、我が家は今、とても平和です。

我が家の夫婦円満5ヶ条

  1. カッとした時は5つ数える 大抵はおさまるけれど、ダメなら冷静に自分の気持ちを伝えます。頭に血が昇っているときに何か言ってしまい、思いがけない致命傷を相手に与えてしまうことはままあります。
  2. 互いの領域にはなるべく口を出さない つい文句を言いたくなるけど我慢。洗濯物の干し方、ゴミ捨てのルール、言いたいことはたくさんあるけれど、子どもに教えるつもりで忍耐強く説明していきます。
  3. お互いのプライベート時間を尊重する 詮索せず送り出すようにし、相手が楽しい時間を過ごしている間は自分も一人の時間を楽しむようにします。
  4. 共通の趣味を持つ 一緒に旅行したりバードウォッチングをするようになりました。新しい楽器も定年後に始めて、暇があると二人で練習したりします。読書好きの夫のおすすめの本を貸してもらって読むようにもしています。
  5. なるべく感謝を口にする 「してもらって当たり前なことは何もない」と肝に銘じます。人間慣れとは恐ろしいもので、黙ってしてくれることは当たり前になってしまいます。決して当たり前なことは何もなく、感謝の気持ちを忘れないようにしています。

「夫婦間の愛情というものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるものなのです。」オスカー・ワイルド

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